なかなか手が伸びなかったワンピース
ズボンに作り替えた
肩を開き上半身部分も使い
マキシ丈になるよう調整、ゴムを入れ
スカートの形は残したまま
足を入れる口を20㎝ほど左右に残して
裾を縫い付けた
サルエルパンツとか、トルコパンツ
或いはSOU・SOUの「富士」のイメージ
好きな色で
クタクタの着心地の楽ちんパンツとなり
暑い日にはちょうどよい家着になった
(当面、安易にワンピースを買うのはよそうと決めた)
この改造や
自分内の和服ブームで
はっきりと自覚したのだが
私は服を
服という形をしてはいるものの
「布地」「織物」「素材」として
認識する傾向が強いようだ
そして
自分の手元にやってきた布は
修繕したり、作り替えたり
最終的には雑巾やウエスにして
襤褸になるまで使い切りたい
極端な表現だが
(最後まで使い切り、この手で供養したい)という気持ちに
近いかもしれない
これまでの人生で
暮らしを見直したり
ライフスタイルや年齢の変化の過程で
服を処分することは多々あったが
綺麗に着られる状態のまま
手放す(売る・譲る・寄付)のは
私にとっては特殊なケースだったと
振り返ってみても
思う
「布という素材を使い切りたい」
という気持ちがあるのだと自覚すると
布巾の取り換え問題
も自ずと答えが見えてくる
「修繕しやすいように」と
もんぺを選んだのも同じことで
布地として使い切ることが
私には大事なことだったのだ
なにしろ
「破けたら繕って
それでも着られなくなったら
綺麗な部分を使って、巾着袋など作ろう」
と、買う前から考え始めていたのだ