「服装の自由」について、取り留めもなく

2020年3月17日火曜日

今月41歳

いよいよ
服に迷い始める年齢だと聞くが
どうなるだろう

親しくしている
同年代の友人知人で
服装の雰囲気が変わった人は
まだいない

が、10歳ほど年長の
知り合いで
ここ数年でガラリと服が
変わった人がいる

16歳の時に買った服を今も着る

実は
その服装を見るのが
とてもつらい

服装だけでなく
お顔も
少し変わったように思うのだが
ここでは置いておく

似合っているかどうかの以前に
服そのものが
私の嫌いなテイストなのだ

ご本人は
非常に満足しておられるし
実際
以前より元気そうで
生き生きとしているが

どうしても会わなければならない
用事の前は
少し憂鬱だ

肌ざわり重視 装飾は不要

人がどんな服を着ようと
自由である

宗教的な制約も
ジェンダー的な制約も
日本は非常に少ないと思われる

その恩恵は
私自身大きく受けている

だが
見るだけで不快な服を
着ている人がいる

という現実と
どう向き合えばいいのか
まだわからない

透明な服が掛かっています(嘘)

逆に、私も
不快に思われているかもしれない

人が少しオシャレしていくような場でも
ジーンズを穿いて行ってしまうこともある自分は
誰かを不快にさせている可能性は
高い

「ハレ」の場や
そのためにいつもと違う
特別な格好をするのが
苦痛だ

成人式も結婚式も
避けたのは
振袖やドレスなど
特殊な服を着るのが
どうしてもイヤだったからだ


社会的な記号として
特別な服装が必要な場面があるのはわかる


「いつもと違う自分」になることによる
喜びや高揚感が
私にはない

それは「いつもの自分」を
肯定できているからなのか

変化を恐れているだけなのか

はたまた
違う理由なのか


話はだいぶ脱線したが
そんなことを思いながら
年を重ねる春
クローゼットの整理をしよう

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